東南アジアはインドシナ半島を中心とした大陸部とマレー半、インドネシア、フィリピンなどの島々の島嶼部から構成されます。古来より、海と大陸の河川を介した民族移動がさかんな地域で、インドや中国、イスラームなど外来文化の影響を受け、複雑な歴史を展開し、独自の文化を発展させてきました。
前2千年紀末にベトナムやタイ東北部を中心に青銅器が作られていました。前4世紀には中国に影響を受けたベトナム北部を中心にドンソン文化が発展していきました。ドンソン文化特有の青銅器や鉄製農具が東南アジアの広い地域で出土しています。秦の時代(前771年 -前206年)には、前3世紀頃、北ベトナムに郡が置かれるなど、中国の東南アジアへの伸張がみられました。
1世紀になるとカンボジアのメコン川下流域には東南アジア最古の国家といわれる扶南が成立し、2世紀末にはベトナム中部にチャム人がチャンパーを建国させました。
4世紀から5世紀にかけて、インドの活発な海運を展開したことを背景に、インド文化が流入し、「インド化」と呼ばれる現象が起きました。各地の政権がインドの法や制度を模倣するなど影響が強く。
6世紀にメコン川中流域にカンボジア王国が成立し、扶南を滅ぼします。王国は9世紀以降アンコールに都をおき、12世紀にはカンボジア北西部にアンコール=ワット※が建てられました。
※ヒンドゥー教や仏教の影響を受けた独自性の強い寺院。1992年世界文化遺産に登録。
7世紀半ばにスマトラ島のパレンバンを中心にシュリーヴィジャヤ王国が成立し、インドネシア、マレーを支配するようになります。中国・唐に朝貢を派遣するなど海上交易を積極的に行ないました。義浄はインドへの道中でこの地に滞在し、仏教がさかんな様子を記録に残しています。同時期、仏教国のシャイレンドラ朝やマタラム朝が誕生しています。
10世紀末になると、それまで中国の属国だったベトナムが、中国の支配から脱し、11世紀に大越国を建設し、李朝を成立させました。11世紀にパガン朝が成立し、スリランカとの交流の中で上座部仏教が広がりました。13世紀にはモンゴル帝国(元)の侵入を受けましたが、必死の抵抗により追撃に成功。1802年にはベトナム王朝の阮朝(げんちょう)がベトナム全土の統一を達成しました。ジャワ島では13世紀末にインドネシア最後のヒンドゥー教王国・マジャパヒト王国が成立しました。
16世紀から大航海時代の流れでヨーロッパ人の進出が始まり、19世紀以降にはほとんどの地域がヨーロッパ諸国やアメリカに分割支配され、世界市場に本格的に組み込まれました。
第二次世界大戦では、日本も天然資源確保という戦略的見地から目をつけ、アジア開放の名目で東南アジアを占領し、敗戦まで苛烈な支配体制を敷き、現地の人を苦しめました。
戦後はフィリピン、インドネシア、マレーシア連邦と東南アジア諸国は次々と独立していきました。1967年には東南アジアの経済成長・文化促進・政治的安定を目的とした地域協力機構「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイなどを原加盟国として結成されました。経済関係が密接になったことで、現在にいたるまで目覚ましい経済成長を遂げています。