
「植民地時代」と聞くと、なんだかすごく昔のことのように思えるかもしれません。でも実は、東南アジアの多くの国々が独立を果たしたのは、ほんの70〜80年前くらいなんです。つい最近まで、ヨーロッパの国々に支配されていた…って考えると、今の政治や経済、文化にまでいろんな影響が残ってるのも納得できますよね。
この記事では、東南アジアの植民地支配がどう進んでいったのか、そしてどこの国がどこを支配していたのか、さらには現代に残っているその影響について、ざっくりだけどしっかりと解説していきます!
最初にやって来たのは、香辛料目当てのヨーロッパ勢。大航海時代の到来とともに、東南アジアの運命は大きく動き出します。
16世紀、最初に現れたのはポルトガルとスペイン。ポルトガルはマラッカ(マレー半島)を1511年に支配し、香辛料ルートを抑えようとしました。スペインはフィリピンに進出し、1565年に植民地化スタート。しかも名前は国王フェリペ2世にちなんで「フィリピン」!
17世紀以降、オランダが登場して、現在のインドネシア一帯を徐々に制圧。イギリスはマレーシアとミャンマーへ、フランスはベトナム・ラオス・カンボジアをまとめて「フランス領インドシナ」として統治し始めます。
それぞれの宗主国には植民地支配の“クセ”みたいなものがあって、教育制度や宗教、行政のやり方なんかにも違いが出てきます。そこが、現代に影響を与えてるポイントなんです。
ちょっとここで整理してみましょう。各国がどこの地域をどのくらいの期間支配していたのかを一目でチェック!
植民地時代が始まった時期も終わった時期もバラバラ。でも、共通して言えるのは「100年以上も支配が続いた国が多い」ってこと。そんなに長いこと外国に支配されてたら、そりゃいろんなものが残りますよね。
では実際に、植民地時代の名残が今どう残ってるのか、いくつかの視点で見ていきましょう。
まずは言葉!たとえばフィリピンでは今でも英語が公用語のひとつ。これはアメリカ支配の影響です。シンガポールやマレーシアも英語が強く、ベトナム語にはフランス語由来の単語もちらほら見られます。
宗主国が持ち込んだ教育制度や法律は、今でもその国のベースになっていることが多いです。たとえばフィリピンの大学制度はアメリカ風、マレーシアやシンガポールの法律はイギリス式のコモンローを基にしています。
フィリピンはカトリックが主流。これも完全にスペインの影響ですね。一方、インドネシアやマレーシアではイスラームが主流だけど、ヨーロッパとの接触で宗教寛容政策が進んだ面もあります。
街並みにも影響が!ホーチミンやハノイではフランス風の建物が多く、マニラやヤンゴンでもヨーロッパ式の官庁建築がそのまま使われてたりします。
忘れちゃいけないのが、植民地支配の反発運動。この時代に生まれたナショナリズムが、のちの独立運動の原動力になったんです。ホー・チ・ミン(ベトナム)やスカルノ(インドネシア)など、多くの指導者がこの時期に登場しました。
東南アジアで唯一植民地にならなかったのがタイ(当時のシャム王国)です。
なぜかというと…
という背景があったからです。
ただし、完全な自由というわけではなく、不平等条約を結ばされたり、領土を削られたりと、痛みもあったんですよ。
植民地支配は終わったとはいえ、その名残は言語や制度、街並み、そして人々の価値観にも色濃く残っています。東南アジアの現代社会を理解するには、植民地時代の影響を無視できないんです。
いかがでしたか?東南アジアの植民地時代って、ただ「支配されていた」ってだけじゃなくて、現代の文化や社会構造にまで影響を与える重要な時代だったんですね。とくに言語や教育、街並みにまでしっかり痕跡が残っているのが面白いポイント。今の東南アジアを見るとき、「どの国がどこに支配されていたか」を知ってると、より深く理解できると思います!