南アジアの王政史|一世を風靡した王朝および創始者の一覧

南アジアって、今でこそインドやネパール、スリランカみたいな共和国のイメージが強いけど、ちょっと昔をさかのぼると、そこには王さまがバリバリ政治を動かしてた時代があったんです。中には「インド全土をまとめちゃった」なんてスケールの王朝もあるし、「象に乗って戦う」「仏教を世界に広める」なんて、ちょっとした冒険ファンタジーみたいな話もいっぱい。一世を風靡した南アジアの王朝と創始者たちは、戦争も外交も文化も全部ひっくるめて、南アジアの土台をつくった存在なんです。今回はそんな王たちがどうやって国をつくり、どんな功績を残したのか、順番に見ていきましょう!

 

 

王朝一覧表

王朝名 年代 創始者と治世
マウリヤ朝 紀元前322年 - 紀元前185年
  • チャンドラグプタがアレクサンドロス大王の後継勢力を駆逐して建国。
  • 孫のアショーカ王(在位:紀元前268年 - 232年)はカリンガ戦争後に仏教に帰依し、仏教の保護と広大な碑文の建設で知られる。アショーカの布教政策は東アジア世界にも大きな影響を与えた。
クシャーナ朝 1世紀 - 3世紀
  • クジューラ・カドフィセスが建国。カニシカ王(在位:2世紀初頭)は仏教を庇護し、ガンダーラ美術の発展を促進。
  • インド・中央アジア・中国を結ぶ交易路(シルクロード)上に位置し、文化交流が活発化した。
グプタ朝 320年頃 - 550年頃
  • チャンドラグプタ1世が建国。チャンドラグプタ2世やサムドラグプタの時代に最盛期を迎え、「インドの黄金時代」と称される。
  • 数学・天文学(ゼロの概念、アーリヤバタ)、文学(カーリダーサ)などの文化的繁栄が特徴。
ハルシャ朝 606年 - 647年
  • ハルシャ・ヴァルダナが北インドを統一し創始。
  • 仏教とヒンドゥー教の双方を保護し、中国の玄奘三蔵が彼の宮廷を訪れたことでも知られる。文化・宗教交流が盛んだった。
デリー・スルタン朝 1206年 - 1526年

 

  • 奴隷王朝のクトゥブッディーン・アイバクが創始者。
  • イスラーム王朝が北インドを支配、インド・イスラーム文化の融合が始まる。ヒンドゥー教徒とイスラーム勢力の複雑な関係を形成した。

 

ムガル帝国 1526年 - 1857年
  • バーブルがパーニーパットの戦いでローディー朝を破り建国。
  • アクバル(在位:1556年 - 1605年)は宗教的寛容政策を実施し、強力な中央集権体制を築く。
  • タージ・マハルなどの壮麗な建築が生まれ、インド・ペルシャ文化が融合した。
マラーター同盟 1674年 - 1818年
  • シヴァージーがムガル帝国に対抗して建国。ヒンドゥー教徒による自立とゲリラ戦術による戦争で知られる。
  • 英領インド成立前の最大の在地勢力であり、ムガル帝国の衰退を加速させた。

 

ナンダ朝|巨大国家のスタート地点

マハーパドマ・ナンダが建てたこの王朝は、今のビハール州あたりから始まって、一気に北インドを席巻しました。インド初の“中央集権型”国家といわれてて、土地を管理したり税を取ったり、行政の仕組みを整えたのがこの人たち。農業も発展させたので、経済的にも力を持ってました。

 

実は「出自が低い」とされた王

マハーパドマ・ナンダはカースト制度の上では高貴じゃなかったんですが、それでも王になって巨大国家を築いたという意味で、民衆の支持も厚かったみたいです。

 

マウリヤ朝|南アジア初の超帝国

チャンドラグプタが創始したこの王朝は、アレクサンドロス大王の退却後の混乱期に、ガッと勢力を広げて一気にインド全土を統一した「最初の帝国」。でももっと有名なのは孫のアショーカ王で、彼が仏教を保護し、広めたことで知られています。

 

「暴君」から「ダルマ王」へ

アショーカは初期は戦争ばかりしてたけど、カリンガ戦争の後に改心して「非暴力と慈悲」の政治を始めました。碑文で政策を伝えるなど、歴史に残る仏教のパトロンとして今でも有名なんです。

 

グプタ朝|文化と学問の黄金時代

チャンドラグプタ1世が興したこの王朝は、「古典インド文化の黄金期」と言われています。サンスクリット文学が花開き、アラビア数字やゼロの概念、数学、天文学など、世界的に影響を与える発見が続出したんですよ。

 

宗教的にはヒンドゥー回帰

仏教が広まっていた時代から一転、この王朝はヒンドゥー教を国家宗教として再び持ち上げたことで、宗教と王権の新しい関係が築かれました。

 

デリー・スルタン朝|イスラム勢力の本格進出

13世紀、クトゥブッディーン・アイバクが北インドに建てたイスラム王朝の始まり。これがデリー・スルタン朝の第一王朝「奴隷王朝(マムルーク朝)」です。トルコ系の武人出身だったアイバクは、イスラム教を統治の軸に置きながら、ヒンドゥー社会との共存も模索しました。

 

建築にも名残が

クトゥブ・ミナールっていう有名な塔もこの時代に建てられたもので、今でもインドの観光地になってます。

 

ベンガル・スルタン朝|東の海洋国家

現在のバングラデシュにあたる地域で生まれた独立王朝で、シャムスッディーン・イリヤース・シャーが創始者。ここはベンガル湾を使った海上貿易で栄え、インド世界と東南アジアをつなぐ架け橋にもなってたんです。

 

交易と芸術が発展

イスラム教とベンガル文化が融合したことで、独自の建築様式や文化が育ちました。

 

ムガル帝国|南アジア最後の大帝国

バーブルが建てたこの王朝は、ティムール家の末裔というバリバリの中央アジア貴族。その血統でインドに入り込み、北インドを再統一しました。中でもアクバル大帝シャー・ジャハーンの時代は、「南アジアのルネサンス」とも言える文化の開花がありました。

 

寛容な統治と建築美

アクバルはヒンドゥーにも寛容で、異教徒の重税を廃止したり、宗教融和を図りました。タージ・マハルもこの王朝の遺産です。

 

チョーラ朝|海を制した南インドの覇者

ヴィジャヤラーヤ・チョーラが興したこの王朝は、インド南部からスリランカ、東南アジアまで進出した海上帝国。ヒンドゥー教を支援しながら、港市国家との貿易を盛んにしました。

 

芸術と神殿建築の黄金時代

ブロンズ像や巨大な寺院建築が発展し、今でもタミル・ナードゥ州にその名残が残ってます。

 

ヴィジャヤナガル王国|ヒンドゥーの砦

ハリハラ1世ブッカ・ラーヤ1世の兄弟が創始したこの王国は、南インドのヒンドゥー王朝としてイスラム王朝に対抗。壮麗な都市遺跡ハンピがその栄華を物語っています。

 

ヒンドゥー文化の再生

文学・音楽・建築に力を入れ、宗教的・文化的な拠点となりました。

 

ネパール王国(シャハ朝)|近代化の入り口

プリトビ・ナラヤン・シャハが18世紀にネパールの小国群を統一して王国を建国。彼の政策が現代ネパールの国境の基礎をつくったとも言われています。

 

戦略的な外交が武器

中国とインドの間にあって、うまく立ち回りながら独立を維持しました。

 

ブータン王国(ワンチュク朝)|今も残る王制

ウゲン・ワンチュクが20世紀初頭に建国したブータン王国。現在も立憲君主制を維持していて、「国民総幸福量(GNH)」を掲げるユニークな国家運営で知られています。

 

王が国民と近い存在

近年では民主化も進みつつ、王室は今でも国民から高い信頼を受けています。

 

こうして見ると、南アジアの王政は宗教・文化・戦争・経済をがっつり動かしてたリーダーたちの連続だったってことがよくわかりますよね。王さまたちのダイナミックな動きから、今の国境や文化のカタチがどう出来たのかを想像すると、歴史ってめちゃくちゃ面白いと思いませんか?