
南アジアって、カレーやサリーだけじゃなくて、実は経済や通貨の歴史もめちゃくちゃ面白い地域なんです。インダス文明の物々交換に始まり、銀貨・金貨が行き交った王朝時代、さらにはイギリスの植民地支配と近代通貨制度の登場、そして独立後の各国通貨の誕生へと…この地域では、まるで時代の縮図のようにお金の形が変わってきたんですよ。南アジアの貨幣史は、支配・交易・独立の歴史そのものを映し出しているとも言えます。今回はそんなダイナミックな通貨の変遷を、古代から現代まで順を追ってたどってみましょう!
南アジア最初の文明とされるインダス文明(紀元前2500年頃〜)では、まだ「通貨」と呼べるものは存在していませんでした。でも、ちゃんとモノのやりとりは行われていたんですよ。
この時代は主に穀物や布、家畜などの物々交換が中心。一部では貝殻やビーズが価値あるものとして使われていた可能性もあり、装飾品とお金の境界が曖昧だったようです。
貨幣の代わりに重さを測るための石製の分銅や、取引の証としての印章(スタンプ)が多数発見されています。商業意識はかなり発達していたようですね。
やがて紀元前6世紀ごろ、マガダ国やマウリヤ朝の時代になると、本格的な貨幣制度が登場します。ここからが「通貨の歴史」の本番です。
南アジア最古の硬貨は、打刻印を複数刻んだ銀製のパンチャマーク硬貨。重さの基準がしっかりしていて、複数の印を使って信頼性を保証していました。
1〜3世紀ごろには、クシャーナ朝が発行した金貨が流通します。ヘレニズム文化の影響もあり、硬貨にはギリシャ文字や神像などが刻まれていて、見た目も華やか。国際貿易も盛んで、西方のローマ帝国との交易にも使われたとか。
4〜6世紀にかけて栄えたグプタ朝では、王や神々の姿が彫られた美しい金貨が発行されました。経済の中心に通貨がしっかり根づいた時代です。
南アジアがいくつもの王朝に分かれ、イスラーム政権が登場する中で、通貨もバリエーション豊かに進化していきます。
12世紀以降、デリー・スルタン朝やムガル帝国などのイスラーム政権が成立すると、アラブ世界で使われていた金貨ディナールや銀貨ダルハムの系譜を引く通貨が使われるようになります。
16世紀にムガル帝国のアクバル帝が導入した銀貨ルピー(Rupiya)は、のちに現在の「ルピー」という通貨単位の原型になります。統一された重量・品位を保ち、広範囲で流通しました。
一方で、南インドやデカン高原では地域王朝が独自の貨幣(銅貨や金貨)を発行しており、多通貨並存が当たり前の時代でもありました。
18世紀後半から始まるイギリス東インド会社の進出と、19世紀のイギリス領インド帝国の成立は、南アジアの貨幣制度に大きな転換をもたらしました。
ムガル帝国時代のルピーを踏襲しつつ、銀本位制に基づくイギリス・インド・ルピーが導入されました。この通貨は、ビルマやスリランカ、東アフリカなどにも拡大し、当時の広大な植民地経済圏で使われました。
19世紀後半にはインド準備銀行による紙幣の発行が始まり、国王や英国の象徴が描かれたデザインが登場。庶民にも「お金の形」が浸透していきました。
かつてあった各藩王国(プリンシリー・ステート)の貨幣は次第に廃止され、統一通貨ルピーにまとめられていきました。
第二次世界大戦後、南アジア各国が独立するなかで、それぞれ独自の通貨を持つようになります。
各国の紙幣には歴代の指導者、歴史的建造物、宗教的シンボルが描かれていて、それぞれのナショナリズムや文化が反映されています。
一部の国ではインフレや為替危機も問題に。特にスリランカやパキスタンでは経済情勢の悪化により、通貨価値の下落が国民生活に直結しています。
南アジアの貨幣史は、まるで一つのドラマみたい。物々交換から始まり、王朝の栄華とともに金貨銀貨が流れ、植民地支配のもとで制度が整えられ、やがて独立国家がそれぞれの通貨を持つようになったんです。通貨って単なる「お金」じゃなくて、その時代その時代の「価値観」や「支配の形」が刻まれた鏡でもあるんですね。今、財布の中にあるお札も、何百年もの歴史の上にある…って思うと、ちょっとロマンを感じませんか?