
レバノンの国旗
出典:Wikimedia Commonsより
国の基本情報 |
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国名 | レバノン(Lebanon) ※正式名称:レバノン共和国 |
首都 | ベイルート(Beirut) |
人口 | 約530万人(2024年推計)※難民を除く |
面積 | 約10,400平方キロメートル |
公用語 | アラビア語 |
通貨 | レバノン・ポンド(LBP) |
政治体制 | 共和制(宗派間で権力分担) |
主要宗教 | キリスト教(マロン派)、イスラム教(スンニ派、シーア派) |
国際的地位 | 宗教・宗派間のバランスを保った複雑な政治体制。経済危機と政治混乱が続く |
建国背景 | フランス委任統治領から1943年に独立。宗派間の権力分担体制を採用しながら内戦や外部干渉を経て現在に至る。 |
レバノンって、面積も小さくて人口も多くはない国なのに、なぜかニュースではよく名前を聞くし、世界史にもたびたび登場してくる…ちょっと不思議な存在だと思いませんか?でもその理由はとってもシンプルで、レバノンは「文化と宗教のるつぼ」であり、「中東の交差点」として常に時代の大波に翻弄されてきた国だからなんです。今回はそんなレバノンの特徴と成り立ちを、地理・歴史・政治・文化などの切り口から、コンパクトに深掘りしていきます!
レバノンは西アジアの地中海沿岸にある小さな国で、北と東はシリア、南はイスラエルと接しています。面積は四国より少し大きいくらいで、人口は約600万人。首都はベイルート。山と海に挟まれた風光明媚な地形が特徴です。
レバノン杉で有名なレバノン山脈が中央を走り、東側にはベカー高原が広がっています。気候は地中海性気候で、冬は雨が多く夏はカラッと晴れる。実はスキーができる雪山もあるんですよ!
レバノンの最大の特徴はその宗教の多様性。マロン派キリスト教徒を筆頭に、スンナ派・シーア派イスラム教徒、ドゥルーズ教徒など18もの宗教グループが共存しています。国民のアイデンティティも宗教ベースで語られることが多いです。
レバノンの歴史はとっても古くて濃い。古代フェニキア人から始まって、数々の大国の支配を受けながらも独自の文化を育んできたんです。
紀元前3000年ごろには、フェニキア人が海上交易を行い、地中海各地に植民都市を建設しました。シドンやティルスといった古代都市はその中心地で、「アルファベットの発祥地」とも言われてます!
その後はアレクサンドロス大王、ローマ帝国、ビザンツ帝国、イスラム帝国と支配がめまぐるしく交代。十字軍の拠点にもなりました。
16世紀からはオスマン帝国の支配下に入り、第一次世界大戦後はフランスの委任統治領に。フランス文化の影響も今なお色濃く残っているんですよ。
1943年にレバノン共和国として独立し、宗教グループごとに政治権力を分け合う「宗派協定体制」を導入。大統領はキリスト教徒、首相はスンナ派、国会議長はシーア派…といった具合に役職が割り当てられました。
宗教の多様性はレバノンの強みですが、内外の対立や外部干渉が重なると、一気に火種になることもあります。その象徴が1975?1990年のレバノン内戦でした。
内戦の原因は宗派間の緊張、パレスチナ難民の流入、イスラエルやシリアの軍事介入など複雑多岐にわたります。ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれた美しい街から、一転して戦場に…。
1990年に和平協定が成立し、復興が進んだものの、政治の機能不全と汚職、外貨依存が深刻化。2020年には首都ベイルートで大規模な爆発事故が起き、経済危機と政権不信が一気に高まりました。
レバノン南部にはシーア派武装組織「ヒズボラ」が拠点を置き、イスラエルとの武力衝突が断続的に発生。国家と非国家武装勢力が並存するという、非常にデリケートな状況が続いています。
戦争や混乱のイメージがあるかもしれませんが、レバノンの人々はとても文化的で誇り高い民族なんです。
公用語はアラビア語ですが、フランス語と英語も広く使われています。教育水準は高く、中東有数の知識人層を輩出してきた国でもあります。
レバノン料理は中東の中でも特に洗練された存在で、フムス、タブーリ、ケバブ、ファラフェルなど、健康的で彩り豊か。客をもてなす文化も強く、家庭料理のレベルも高いです。
音楽・映画・文学などの文化活動も盛んで、アラブ世界の自由な表現の拠点でもありました。特にベイルートは長らく、政治的な制約の少ないアラブ文化の発信地として知られていました。
レバノンって、「中東の縮図」とも言えるような国なんです。狭い国土に、数千年の文明、十数の宗教、さまざまな民族、そして希望と絶望がひしめいている。時には争いもあるけれど、その中で人々は美しく、力強く生きている。ニュースの表層だけじゃなく、その奥にある「多様性と誇り」をぜひ感じてみてください。