
南アジアを旅したことのある人なら、きっと一度は目にしているはず。どこまでも続く線路、混み合う車両、そしてホームに響く紅茶売りの声…。そう、鉄道は今も昔も、この地域の人々の暮らしにとって欠かせない存在なんです。
でも実は、南アジアの鉄道は、その大部分が「植民地時代」に敷かれたものなんですよ。その背景には、単なる交通インフラ整備を超えた、イギリスの「支配の仕組み」としての狙いがあったんです。今回は、そんな南アジアの鉄道の歴史をたどりながら、その意義や現在へのつながりを見ていきましょう!
南アジアの鉄道の歴史はインドの植民地時代から本格的に動き出します。きっかけは、イギリスがこの地を自国の経済の一部として取り込んでいく中で必要になった「輸送手段」でした。
1853年、ボンベイ(現ムンバイ)〜ターネー間に、インド初の鉄道が開通しました。これが南アジア全体の鉄道網の幕開けでもありました。
実は当初の目的はインド人の移動手段ではなく、物資の運搬がメイン。特に綿花・紅茶・鉱物など、イギリス本国へ輸出するための植民地経済のための鉄道だったんです。
イギリス東インド会社やその後のイギリス政府は、南アジアの広大な土地に効率よく「商品」や「兵力」を移動させるため、徹底的に鉄道整備を進めました。結果、1947年のインド独立時点で、すでに5万キロ以上の路線が存在していたと言われています。
単なる交通網じゃなく、鉄道は統治・支配のツールでもあったんです。
反乱や暴動が起きたときに、いち早く軍隊を移動させるために鉄道が使われました。1857年のインド大反乱以降、その重要性が再認識されました。
地方で収穫された綿花やアヘン、鉱石を港へ運び、そこからイギリスへ輸出するための一方通行の経済構造が鉄道によって効率化されていきました。
主要都市だけをつなぎ、農村部にはあまり路線を通さなかったため、都市間でのヒエラルキーや格差を広げる要因にもなりました。
1947年以降、インドやパキスタンをはじめとする南アジア諸国は、それまでの鉄道インフラを自国のものとして活用していきます。
インド鉄道(Indian Railways)は現在、世界でも最大級の鉄道ネットワークの一つ。路線距離は7万キロ以上、従業員数は100万人を超えます。毎日2000万人以上が利用しているとか!
鉄道はインドだけでなく、バングラデシュ、パキスタン、スリランカなどでも生活インフラとして定着。農村から都市部への通勤や、物資の輸送、観光など、多様な役割を担っています。
インド鉄道では、1等・2等・3等というクラス分けがあり、かつてのイギリス式階級制度の名残とも言われています。今はだいぶフレキシブルになってますけどね。
かつて「支配の道具」だった鉄道は、今や人々をつなぐ生活の足へと進化しています。とはいえ、課題も山積みなんです。
植民地時代に作られたインフラが今も多く残っていて、老朽化による事故も時々発生。近代化と安全対策が大きな課題です。
インドでは日本の新幹線技術を取り入れたムンバイ〜アーメダバード間の高速鉄道計画が進行中。南アジアの鉄道も、ついに“次のステージ”へ突入しようとしています。
ダージリンやシムラーなど山岳部では、かつての鉄道が観光用として保存・運行され、ユネスコ世界遺産にも登録されています。鉄道=遺産としての価値も見直されてるんですね。
南アジアの鉄道史は、単なる交通インフラの話じゃありません。植民地支配の象徴だった鉄道が、今では人々の日常を支える大動脈として息づいているんです。かつては支配のため、今は生活のため。鉄道って、時代によってその意味を大きく変える不思議な存在だなと思います。線路の向こうに広がってるのは、いつだって「今を生きる人たちのリアル」なんですよね。