「東南アジア」の定義|どこからどこまでの地域なの?

「東南アジア」の定義

東南アジアの定義は地理的にはインドシナ半島とマレー諸島を中心に整理される区分だ。歴史的・文化的共通性を基準にまとめられることが多く、学術分野によって範囲が多少異なる。定義の幅は地域の多様性を示しているといえる。

「東南アジア」の定義とは…どこからどこまでの地域なの?

東南アジアって、地図を眺めていると「え、ここも入るの?」って一瞬手が止まること、ありませんか?
アジアの南のほう、なんとなく暑そうで海が多い──そんなふんわりしたイメージで語られがちな地域です。


でも実は、この東南アジア、かなりきちんと定義されたエリアなんです。
結論から言ってしまうと、「東南アジア」とはインドと中国のあいだに位置する11か国からなる地域で、地理的な位置関係だけでなく、文化や歴史のつながりを踏まえて、ひとつのまとまりとして扱われています。


ただ近いからまとめられた、というわけではないのがポイントです。
交易の歴史、宗教の広がり、植民地時代の経験。そうした共通の積み重ねが、「東南アジア」という枠を形づくってきました。


この記事では、東南アジアに含まれる国はどこなのか。
そして、なぜこの地域が「ひとまとめ」にされているのか。その理由を、順を追って見ていきます。



どの国が「東南アジア」に入るの?

東南アジア諸国の位置を示す地図

東南アジア諸国の位置を示す地図

出典:Abhijitsathe / Public domainより


まずは、いちばん混乱しやすいポイントから整理しておきましょう。
「東南アジアって、結局どこの国まで含まれるの?」という疑問ですね。
これは国際的にもほぼ共通認識があり、東南アジアは11か国で構成される地域とされています。


ASEAN加盟の11か国が基本


フィリピン

ブルネイ

ベトナム

マレーシア

ミャンマー

ラオス

東ティモール

インドネシア

カンボジア

シンガポール

タイ


東南アジアに含まれるのは、この11か国です。
その中でも、地域枠組みとして中心的な役割を担っているのが、ASEAN(東南アジア諸国連合)に加盟している10か国


残る東ティモールについても、2022年から加盟に向けた手続きが進められており、すでに「東南アジアの一員」として扱われています。
つまり、政治・国際関係の面でも、この11か国セットが基本単位になっているというわけです。


東南アジア=ASEAN圏+東ティモール、という理解でまず問題ありません。
国名を個別に覚える前に、この枠組みを押さえておくと、話がぐっと整理しやすくなります。


地理的には「インドと中国の間+島しょ部」

地理的に見ると、東南アジアはかなり広がりのある地域です。
インドと中国という二大文明圏にはさまれた位置にあり、インドシナ半島とマレー諸島の両方を含みます。


範囲としては、北は中国の国境付近、南はオーストラリアに近い海域まで
陸地だけでなく海の占める割合が非常に大きく、多くの国が島国、もしくは海洋国家として成り立っています。


この「海に開かれた地理条件」こそが、交易や文化の混交を生みやすくした重要な要素でした。
東南アジアを理解するうえでは、地図上の位置関係と海の存在を、セットで意識しておくことが大切です。


なぜこの地域が「ひとまとめ」になるのか?

カンボジア・プノンペンの独立記念塔

カンボジア・プノンペンの独立記念塔
1953年、フランスからの独立を記念して建てられたカンボジア独立の象徴

出典:Photo by nX / CC BY-SA 4.0より


国の数も多く、言語も宗教も文化もバラバラ。
それなのに、どうして「東南アジア」という一括りが成立しているのでしょうか。
実はそこには、偶然ではない歴史的・地政学的な共通背景があります。


交易と文明の通り道だった

東南アジアは、古代から中世にかけて、インド・中東・中国を結ぶ海上交易ルートのちょうど中間に位置していました。
香辛料や絹、宗教や技術、人の移動。すべてがこの地域を通過していったのです。


外から文化が流れ込みやすく、しかも一方的に上書きされるのではなく、土着の文化と混ざり合っていく。
この地理的な「真ん中感」が、東南アジアらしい多層的な文化を生み出しました。


植民地支配の共通体験

もうひとつ大きいのが、近代以降の歴史です。
東南アジアの多くの国は、欧米列強による植民地支配を経験しています。


宗主国はイギリス、フランス、オランダ、スペインなどさまざまでしたが、 外から統治され、20世紀に独立を目指したという流れは共通していました。


独立運動、国家建設、経済復興。
この似た経験が、地域としての連帯意識を育てていったのです。


冷戦期以降の「地域としてのまとまり」

第二次世界大戦後、東南アジアは冷戦構造の影響を強く受けました。
大国に振り回されないためには、国単位ではなく「地域」としてまとまる必要があったのです。


その象徴がASEANの成立。
政治・経済・安全保障の面で協力する枠組みが生まれたことで、「東南アジア」という地域意識が現実のものになっていきました。


東南アジアは、似ているから一つになったのではなく、共通の歴史を通じて一つになっていった地域です。
多様性を抱えたまま、それでも一括りとして語られる理由は、ここにあります。


「南アジア」「東アジア」との違いは?

「東南アジア」という名前を聞くと、「東アジアと南アジアの中間ってこと?」と感じますよね。
実はその感覚、かなり的確です。


ただし単なる地理的な“あいだ”ではありません。
文化や歴史の成り立ちを見ていくと、東南アジアは両方の影響を受けつつ、どちらとも違う道を歩んできた地域だと分かってきます。


宗教構成が違う

南アジアはヒンドゥー教とイスラム教、
東アジアは仏教や儒教、道教が中心。


それに対して東南アジアは、仏教、イスラム教、キリスト教、民間信仰が地域ごとに入り混じる構造をしています。
ひとつの宗教が地域全体を強く支配するというより、場所によって主役が入れ替わるのが特徴です。


宗教の「多層構造」が、東南アジアらしさを形づくっています。
この柔軟さが、文化の多様性にも直結しています。


国家の成り立ちが違う

東アジアには、古くから強い中央集権国家が存在してきました。
南アジアにも、大帝国の歴史があります。


一方、東南アジアでは、港市国家や小王国が並立する時代が長く続きました。
統一よりも交易と連携が重視されてきた点が、大きな違いです。


そのため、国境や民族構成が複雑になりやすく、現代国家も多様な背景を抱えています。


海との関わり方が違う

東アジアや南アジアが「大陸文化」の色合いを強く持つのに対し、
東南アジアは明確に海洋文化圏です。


島国や半島国家が多く、海が移動手段であり、生活の場であり、交易路でもありました。
この海との距離の近さが、外来文化を受け入れやすい環境を生んだのです。


東南アジアは「間の地域」ではなく、独自の条件で形づくられた文化圏なのです!


「東南アジア」の定義について、ここまでいくつかの視点から見てきました。
国の数、地理的位置、歴史の流れ。どれか一つだけではなく、重なり合った要素として捉えることが大切です。


東南アジアは、地理的にも歴史的にも、まさにアジアの交差点のような場所。
インドと中国という大きな文明圏にはさまれ、海を通じて外の世界とも常につながってきました。


違いの多さと、ゆるやかな一体感が同時に存在するのが、東南アジアという地域です。
11か国それぞれに個性はありますが、交易の記憶や植民地期を経た歩み、海に開かれた地理条件といった共通項が、この地域をひとつの枠として結びつけています。


地図の上だけを見ていると気づきにくい部分。
文化や歴史のつながりに目を向けてみると、「東南アジア」という言葉が指している意味が、ぐっと立体的に感じられるようになりますよ。